Script database and Japanese screenwriters in Japanese broadcast programs and animation

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宮川一郎

Name 宮川一郎
Brief History/Anecdotes (1925年11月18日 - 2008年12月12日)本名:眞木壮介(まき そうすけ)だが、眞木は妻方の姓で、元々の本名は笠根壮介(かさね そうすけ)。岐阜県飛騨市出身。宮川一郎の“宮川”は故郷を流れる川の名から採った。東京大学文学部を卒業後、新東宝に入社し宣伝部を経て企画、プロデューサーを務め脚本も兼務した。新東宝倒産後、フリーの脚本家として活躍。新東宝時代に培った「徹底した大衆娯楽」「プログラム・ピクチャーの追求」を核に、持ち前の多岐にわたる博識をいかして、あらゆるジャンルのドラマを多数執筆。子供向けSFドラマから、時代劇、ホームドラマ、サスペンス、2時間ドラマ、等々とその守備範囲は極めて広く、活躍の場もテレビ、映画、演劇、漫画原作と幅広い。「テレビにおいては起承転結では駄目。まず冒頭で視聴者を釘づけにしてしまうこと。掴み・引張り・転がし・三方こそが大事である」というのが持論であった。不調シリーズ立て直しの名手としてドラマ制作の業界に確たる信頼を築いていった。登場人物の掘り下げにこだわり、画には顕れない部分であっても、各登場人物の履歴書を詳細に作って人物像を完成させてから筆を走らせた。またシナリオ執筆のみならず、原作者としてのテレビドラマ作品も数多くある。国民的番組と評された『水戸黄門』 の印籠シーン、風車の弥七、うっかり八兵衛を生み出した人物である。長年“橋田賞”の選考委員を務めた。墓は新宿区市谷薬王寺町の長巖寺にある。
Major Screenplays (Major Works)