Script database and Japanese screenwriters in Japanese broadcast programs and animation

このサイトは平成・昭和などを彩った脚本・脚本家をアーカイブ化したウェブサイトです。脚本家たちの人となりや、脚本データ、来歴や作品歴をご覧いただけます。

池田一朗

Name 池田一朗
Phonetic Pronunciation いけだいちろう
Brief History/Anecdotes 1923年、東京・赤坂生まれ。東京大学文学部仏文科卒。戦時中は学徒出陣し、陸軍士官として中国大陸を転戦。戦地に持参した「葉隠」が、作家として「死ぬことと見つけたり」を書く契機になった。戦後、復学して大学を卒業し、師事していた小林秀雄が参画する創元社に入社。一時、立教大学講師、中央大学助教授としてフランス語を教えた。1957年に脚本家として活動を開始。当初は「陽のあたる坂道」など日活映画の脚本を書いていたが、60年代よりテレビドラマの脚本に進出。20世紀後半の日本のテレビドラマを支えた。1984年、隆慶一郎の筆名で「週刊新潮」に「吉原御免状」を連載し小説家デビュー。以来、精力的に時代小説を発表し、「一夢庵風流記」で柴田錬三郎賞、「影武者徳川家康」で第8回冒険小説協会特別賞を受賞。映画では「にあんちゃん」でシナリオ作家協会賞、1989年に映画プロデューサー協会賞特別賞を受賞。1989年死去。
Major Screenplays (Major Works)